曲書いてますよ

久々にEOD
曲かけましたv
ただ最近は自分で会心の出来というものが出来にくくどうしたらいいか思い悩んでいます。
思い浮かんではあやふやになるフレーズたちをどうまとめたらいいのか。
バリエーションを増やしていくにはどうしたらいいのか。
悩む要素はたくさんですが、神が舞い降りるのをまって、降臨されたらその啓示にしたがって曲を書くといった感じにしていこうと思っています。

頑張ります。。

頑張ります。
ひたすら頑張ります。
がむしゃらに頑張ります。

皆頑張ってるんだと思う。しかし、結果の出る人と出ない人に二分される。

どうしてだろう。

最近なんとなくその理由がわかってきたような感はあるのだが、
まず一つ目は明らかに頑張ってる方向が違う人。
無駄な部分に力を入れてるが故に失敗する。それともう一つは誰が見ても努力が足りない人。
これもまた無理な話だと思う。
十分頑張って方向も間違ってないっていう人が結果を出す資格を手に入れられるのだと思う。

次に、そこからもうワンステップ進むために必要なものは何かというと、チャンスとか運と呼ばれるもの、それに加えて、良い助言者がいたか。
ここがポイントだと思う。

自分はつくづく詰めの甘い人間だと思う。
いいところまでいっても最後でどうしようもないミスをしてしまう類の人間だ。
それを補って完成に導く助言者、協力者が必要だと常々思っている。だから、音楽というこの世界で生きていくための最高のパートナーに出会えたことを心から感謝している。
約束を果たすためにも最初の方向と努力の2点は確実にこなさなければならない。

もてる全ての力をもって戦い抜こう。

遥か高みを目指し。

悦楽乖離主義〜絶対零度〜

さあ第二章。徐々に壊れていく姿が素敵な(だといいな)hikaruです。ちなみに素敵=笑える、ということにします。

EODでODの検索に引っかかる点が泣けました。薬は止めとこうよ。刃物もね。
基本的にそのような人は血を見ると安心するといいますが、これはなんとなく分かる気がします。
自分の身体から赤い血が流れていることが分かると大分落ち着きますよね。
あぁ、俺、生きてるんだな。って。こういう自己確認って何も変化のない、生きてるかも死んでるかも分からず、ただの繰り返しの中で生きる人々にとって、自信の証明、生きてる証、ここにいる理由、等の様々な肯定要素となりうると思います。ただ、その方法が自傷行為というのが哀しすぎると思うのは自分ひとりではないと思います。(なんだか書いてて落ち着いてきたw)自分はODではないのでそんなことお前にいわれたくないと言われても仕方がないけれど。
しかしながら、言ってしまえば、その反論を受ける責任がこの書き物には存在しないわけで、その台詞こちらから熨斗つけて三倍返しで暮れの元気なご挨拶とさせていただこう。(いい感じに激化再開w)
個性の時代といわれる現代において、自己確認、画一性からの脱却、個の尊重、様々なテーマが論じられる中で、これが自分だというものを持っている人はどれだけいるのだろうか。
ある人は自分探しの旅に出て、自己責任をとる結果となり無言の帰宅を。ある人は画一性を押し付けられ、暴走し、自らの血族を傷つけることとなった。そのほかにも様々な象徴的事件(事件に限らず)があるだろうが、一ついえるのは今この時代に圧倒的に不足しているものがあるということである。
それが何なのかという点にいえば、多くの論議を醸しそうだが、自分はその答えは「会話」だと思う。「会話」は人とのコミュニケーションの手段でありその一言でその人の「ひととなり」が分かるというものだ。一人一人が自己主張を繰り返し自己陶酔する中で、誰ともしゃべろうとしない人が増えすぎたのだろう。絶対零度の世の中で、アナタの一言に救われた。そんな暖かな「会話」をしていきたい。

倒錯的理論展開

華麗に、美しく、優雅に、人の道から外れていってるhikaruですw
今回はEOHネタではなくw自己完結思考論

我儘は何をもって我儘とすべきか。
それは誰にどこまで許される?果たしてそれ自体が我儘である可能性は?
自己中心的。世の中生きてる人でそうじゃない人は居ないと思う(度合いが肝心ってことであるが)この書き物も斬首刑並みの自己中である。
しかし、これが罪に問われたり、社会的批判を受ける対象とならないのは、自己完結の世界に生きているからである。いわゆる自己満足と同類とみなしてよいであろう。
人に何かを求めることが我儘であれば、それはそれで分かりやすいが、そうもいかないわけで、一般的意見を出してみれば「平等」という概念から外れた利己的な行い(なんだか議論が矛盾しだしたが気にしない。)を我儘といえよう。
しかし、その一般的な「平等」を判断する明確な規準を持たない、もしくは故意的に捻じ曲げて解釈している集団による論議であった場合はどうであろう?もう何がなんだかという事態になりそうだ。
あぁ、そうか。これが人間関係なんだ。
そう感じたとき、軽く人間不信になりそうだったが、不屈の楽観視とたゆまぬ思考放棄でカバーリング。自分だってしてるわけだし、それで相手を認めないのもおかしいかなと。(この間、いろいろな論議をスルー。思考放棄。現実乖離。)
なるほどね。寝ればいいんじゃん。一晩寝れば次の日にはすっきりしているさ。よっぽど自分の心が醜悪に出来ていない限り…。

久々に頭を本格起動すると疲れます。倒錯している頭を整理する意味でも休みましょう。このごろは周りが見えないくらい頭の中が忙しい。逆に軽く体を動かしていたほうが楽な気もする。もともと鬱な人ではないから安心だとは思うが、何かと気苦労が耐えないのも事実。実は甘いもの苦手なのも事実。飲み物が好きなのも事実(一般的な自動販売機で売られているものに限るが)事実≠fact(真実)ではないが自分ではそう思っている程度のことであろう。

慈しむ 心。

これもまた人が永遠に求めて、己が存在する限り、決して手に入らないものの一つかもしれない。

拙いなあw

随分昔といっても一年前くらいの作品を再び見てみたのですが、なにをしていいのやら。

とりあえず、打ち込み部はあまりいじらない感じで。(打ち込み家ではないので。)
そして、構成を見直し。相変わらず構成力は甘い。
メロディラインはいいんだよなあ。ここが売りだし。

といった感じで出来たものをアップしてみました。是非、NOIRのミュージックコーナーへどうぞ。

睡眠&ミキシング=風邪

風邪気味だったのが一時復活してまたぶり返しぎみです。
ミキシング作業をずっと試行錯誤していた今日この頃。

ぷろのCDはやっぱりいいなあ!!wというわけでEyes of diary

機材はもちろんノウハウ、テクニック、感性、どれをとっても素晴らしい。
少しでも近づけるように頑張っていきたいです。(機材は高いけど…高いけど……w)

ライブも大分近づいてきました。集客作業や練習を一生懸命張り切っております。是非皆様ふるってご参加ください!(といってもまだまだだけどw)

空虚

本日はすることがない日で、練習する気分でもなかったのでボーっとしていましたw

さてEOD!

バンドの魅力ってなんなんでしょうね?
音楽性、実力、音源の質、ライブの質、世界観、ルックス、プロモーション効果等など様々なことが思い浮かびますが、皆さんが街中に溢れている音楽の中で自分の好きな音楽を見つけるまでの過程ってどうなんでしょうか?
まず考えられるのはその音楽の存在を認知すること。それが第一ですよね。演奏している人から音楽を聞きたくなるといった理由から、一般的な、CMで流れていたといった理由まで様々でしょう。
そして問題は聞いてから好きになる過程です。そこに鍵があるはずです。
■ジャンルが自分の好みと一緒だった→必須(シェアの考え→シェア拡大のためには新ジャンル開拓やカリスマ性の創造または一般音楽への融合→実例アリ。)
■聞いた曲が魅力的であった→どういった意味で魅力的だったのだろう。(キャッチ―は万人向け、ハードはコアなファン向けといった考えも。)
■ルックス、パフォーマンスが魅力的だった→分かりやすくいえばタレントなどと同じでしょう。しかしこれだけでは成り立たないはず(付加価値的)
■世界観が魅力的だった→歌詞(バラードなどでは特に効果的。)、テーマやコンセプト(和風バンドやゴシック風バンド等)
■プロモーション効果等流行に乗って→刹那的ではあるが一番効果的。(相乗効果を期待。他バンドと協力して"流れ"をつくる等も期待できる。長期の流行は定着へ。)

その他鍵となる項目があったらお教えください。思索の参考にしたいと思います。
まあ、難しいこと考える前に今できることをがんばりたいと思います。
理論≠実践ですからw